2011年12月30日金曜日

模擬授業7回目を終えて

ようやく21人が模擬授業をしました。一人ひとり違う教え方をしたことが当たり前のようですが、とても興味深かったと思います。意図的に、みなさんの創意工夫を優先しました。その際に、考える基盤があります。一つは、自分が教えられたように教えるということです。これは、Lortie (1975)という人が述べる「観察の徒弟制(apprenticeship of observation)」で有名な考え方です。もう一つは、手近なモデルをもとに教えるということです。モデルは、これまでの教科教育の授業や本などで知ったこと、実際に見た授業などになります。

私は、一応「英語で授業をする」ということを基本にするように指示しました。それ以外はあまり詳細に指示しませんでした。また、20分という時間と教師環境が制約したかもしれません。が、みなさん、それなりに自分の考えをもとに授業をしました。意外に思うかもしれませんが、その教え方は、実際に教師になっても、今後もあまり変わらないかもしれません。教師は、その多くのことを自己決定しなくてはならない仕事です。その際に大切なことは、「何を目標にどのような活動をするか」ということに、結局なります。

教師はおそらくだれでもできる仕事ですが、「いい先生」になるのはむずかしいことです。「いい先生」の定義もはっきりしません。評価の基準が様々だからです。その分、やりがいのある仕事です。21人の人の模擬授業を見て、私は多くのことを考えました。この後の授業ではそのことを議論できるとよいと考えています。

さて、コメントです。

D先生の授業について
授業での生徒に対する語りかけが自然でよいと思いました。指導案の「ねらい」のところに、「文脈から意味を推測する」とありました。この考え方はとてもよいです。では、どうするか?が課題です。おそらく英語で文脈を提供してその文脈の中での生徒とのやり取りの中で理解を図ろうとしたのではないかと思いますが、実際に意図したとおりにはいかなかったのではないかと思います。そこをどうするかが課題でしょう。D先生だけではなく多くの人に言えることですが、生徒とのやり取り(interaction)がうまくできていません。これは授業の中で経験から養われていくことです。D先生は基本的に生徒とのコミュニケーションは上手だと思うので、コツが分かればきっと「いい先生」になります。ポイントは、生徒の立場にどの程度立てるかということです。(日本語でも英語でも)説明した後に、「分かった?さあ、やって!」ではなく、生徒に一度練習を体験させることで、言語活動はうまく行きます。

O先生の授業について
D先生と同じ教材を扱っていましたが、アプローチが異なっていました。O先生は教師としての姿勢がとてもよいと思いました。教材選択でも生徒のニーズにあったTwitterを扱おうとする考え方はよいと思います。これは教師としては一番重要なことの一つです。それとともに、大切なことは、それをどう扱うというていねいな教え方です。実際に生徒に教えてみると分かりますが、生徒はみんな英語ができるわけではありません。あまり意欲がなく、英語がむずかしいと考えている生徒をどうするかが、教師の大きな仕事です。意欲のない生徒は放っておくという姿勢は、中高の教師としては失格です。O先生は、教材にも工夫してありました。特に、be going toの認知的なとらえ方を導入した点は評価できます。これを説明ではなく、体験させることで理解できるように工夫したらよかったと思います。粗っぽいことが多少ありましたが、O先生が実際に先生になったら生徒はきっと楽しいだろうなと思いました。

N先生の授業について
N先生の授業を見ていて、ちょっと迷っているかなと思いました。教育実習での経験と自分があるいはこの授業で期待される授業とのギャップが、自分の中で整理できていないように思いました。たとえば、日本語訳の問題ですが、高校生ではある程度重要な技能です。生徒も必要と考えるでしょう。しかし、授業でそこに焦点を当ててしまうと、英語授業の本来の目標(コミュニケーション能力の基礎)がおろそかになります。日本語に訳すことや文法理解はその延長線上にある必要があります。そのことを前提にすれば問題ありません。ただN先生の教え方は、ていねいで、生徒のことをよく考えていることがよく分かります。実際に先生になれば、生徒の多くは慕ってくるでしょう。やはり、ていねいで親身な指導が教師の基本です。N先生はその基礎が分かっています。あとは、英語によるコミュニケーション活動をどう演出するかでしょう。

本日で模擬授業はさいごです。大切なことは、一人で考えて模擬授業をしたという事実を忘れないことです。いい加減にやればそれなりに、一所懸命やればそれなりに、失敗すればそれなりに、評価されます。それはもう二度と取り返しがつきません。授業とはそういうものです。自分のしたことには自分で責任を取るしかない。その責任の取り方は、

それでは次にどうするか

でしょう。